プロフィール

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このブログを書いている人の紹介

こんにちは!今年小一娘と年少息子の父、ゆるパパです。

このブログは自分自身は平凡だけど子どもには中受させたい、という方に少しでも有益な情報を書いて行きたいという想いで書いています。

しかしながら僕自身が平凡な学歴ですので、高学歴な方にはおそらく何も有益なことは書けません。

そんな僕の自己紹介を通してなぜ子どもに中学受験をさせたいかを確認し、勉強におけるスタンスを確立することを目指します。

なぜこんな回りくどいことをするかというと、誰でもそうだと思いますが「なぜ?という動機がなければそもそも人は動かない、動けない」という僕自身の苦い経験からです。

だからまずそこ、つまり「そもそもなぜ中受をさせたいのか、その理由から確認したほうがよい」と考えました。

世界観をつくる

そもそもなぜ、中受をさせたいのか

  • 中高一貫校に入れさせるため?
  • 偏差値の高い大学に入れさせるため?
  • いい会社に就職させるため?

色々あると思いますが、「それ」が本当に我が子にとって大切なことなのか?

考えてみるとそう思い込もうとしている可能性はないか?

僕もかつてはこれが我が子にとって大切なことだと自分に言い聞かせていたことがあります。

しかし、これってそもそも手段であって目的や動機ではないですよね。

いきなり手段から考えても「じゃあなんでそれをやろうと思ったのか?」と言うことが明確でなければ。

直観と言うこともあると思いますが少なくとも僕はそういうタイプでではなかった。

で、30歳をようやく最近辿り着いたとりあえずの結論はこうです。

中受とは、我が子には自分の人生を通して「私によれば、この世界はこう見える、説明できる」というふうになってもらうための最良の人生初期に訪れる試練である。

??

なんだそれ?って思いますよね。

この考え方を知った時僕にとって衝撃であり、「あ、より良い人生を送るに必要なのはこれだ!!!」と思いました。

そしてそれを達成するために大事なことはー

親は、子どもがその説明ができるように少なくとも中受するまでは、マラソンの伴走者ように付かず離れずその子にとって絶妙な距離感を保つこと。

どういうことかを自己紹介を交えて順を追って説明していきます。

自己紹介

2021年現在30代後半。

早生まれの今年小学生になる長女と3歳長男の父です。

男兄弟の末っ子で両親は公務員で共働き。保育園育ち→小中は地元の公立校→私立高校→私立大卒。

大学の偏差値で言えば55前後。

少年時代の趣味はもっぱらテレビゲーム。

FF!マリオカート!ストⅡ!グラデュウス!でもドラクエは範疇外。

年の離れたゲーム好きな兄がいるため小学校低学年はまだファミコンが現役でしたしディスクシステムも当然、メガドライブ、スーパーファミコン、プレイステーション、セガサターン、Nintendo 64など大方のハードは自宅にありました。

なんとカセット価格が2万円を超えるネオジオまであった始末です。

まさにゲーム三昧な小中高時代!

勉強なんてするわけないじゃないですか。

当時のゲーマーを熱狂させたネオジオ。なんとアーケードゲームのクオリティが自宅でも可能になるのです。でもソフトは2万越え

中学3年〜高校から兄の影響でさらに音楽と読書が加わります。

音楽は兄の影響でメタルからパンク、ロック、洋楽、邦楽問いません。

読書は中三で読んだ京極夏彦の処女作「姑獲鳥の夏」が読書人生の始まりといっていいでしょう。

大学受験勉強は一応していたと言う程度。大した動機などあろうはずもありません。

兄が進学したから僕も進学するもんだ、と言うくらいしか。

とはいえ大学時代はサークルばかりやって勉強しない楽しい4年間でした。

そうして卒業したくないなぁ、働きたくないなぁと言うモラトリアム人間が出来上がったのです。

そうそう大学時代に今の妻になる女性と出会い、現在では二人の子どもに恵まれました。

基本、両親はノータッチ

僕は勉強に関して両親に特になにか言われたことほとんどありません。

かといって勉強した記憶は全くありません。

言い方を変えれば両親とはコミュケーション不足だったのでしょう。

自分の思い出をたどると、とくに父とは何か会話めいたものは成人するまでしていないのではないかというほど。

父は仕事で忙しくどこか他人のようで嫌いではないけどそもそも近寄り難い

そんな存在でした。

少年時代、仕事から帰宅する車の音が聞こえた瞬間、「お父さんが帰ってきたぞ!」と叫び兄弟揃って今遊んでいたゲーム機を隠す、と言うのが日常でした。

あ、今では仲がいいです。

むしろ多趣味な父とは性格ややることが恐ろしいほど似てきてるなあと感じるくらいです😂

一方、幼少期においては母というと思い出に一番残っているのは寝る前に読んでくれた絵本です。

これだけは毎日欠かさず読んでくれたことは今でも懐かしく思っています。

おしいれのぼうけん、さんびきのがらがらどん、ぐりとぐらシリーズは僕にとってとても思い出深く我が子にも良く読んでいます。

しかし、よく思い返してみるとそれ以外に母と十分なコミュケーションをとっていたかというとあまり自信がありません。

単に記憶がないだけという可能性もあります。でも。

「大人になればわかるよ」

これが昔からの母の口癖だった気がします。

たとえばー

  • なぜ勉強するのか?
  • なぜ学校にいくのか?
  • なぜ働かなければねらないのか?

何か質問をしたときにこのセリフが返ってくるイメージが残っています。

これを言われたら子どもとしては何も言い返すことがありません。

親とのコミュニケーション

今思えば「考える」ということをしてこなかった少年時代だったと思います。

まぁ、たしかに大人になればわかることがたくさんありました。

でも、子どものうちに知っておきたかったこともたくさんあると大人になってからたくさん気付きます。

勉強が楽しいと感じ始めたのは30歳を過ぎてからです。

ならばー

あの時両親ともう少しコミュケーションが取れていた人生なら、今何か変わっていたかもしれない。

そんな想いが寄せては返します。

この想いが反動になって僕の子どもに勉強させたいという「動機」になっていることは否定できません。

つまり、僕によればこの世界(教育という範囲において)は大人になってなお「人生を面白がる」ためのツールである。

こう考えたわけです。

合っているかどうか分かりませんし、

合ってるかということ自体に興味はありません。

そう考えると僕の気持ちは今この時点においてでさえワクワクするのです。

この感情は大切にしたい。

僕は、楽しいことも苦しいことも喜怒哀楽すべてが含まれた人生をいかにあらゆる視点で考えてどんな状況でもそれを【面白がれるか?】という点が大事なのです。

少なくとも現段階では。

ここまで書いて思うのは両親がどうであれ、僕が今こうしていることに実は後悔がない。

確かに少年時代、学生時代、もっとやれたことがあるのではないかと反芻することはあります。

でも今このように「僕にとって世界はこう見える、説明できる」と言う根本的な理念に辿り着いたのです。

むしろ振り返ってみるとこう言う過去があったから今があると納得できるしこういう価値観、世界観で生きてみようというふうに思えたことは感謝しかない。

親はマラソンの半走者に徹したい

先に書いたよう僕の記憶には共働きだったせいもあり両親との思い出ってあまりないのです。

少なくともそう感じている。

でもだからこそ僕が親になった今思うのです。

どのように子どもの勉学について関わっていくべきかを。

人生というマラソンを走るのはランナー(我が子)であって半走者ではない。

でも半走者(両親)は半走者の人生がまた別にある。

この両者の付いては離れずという絶妙な距離感を日々学びつづける。

我が子にとって「私の世界観では人生ってこういうふうに見えてるんだけど、パパにはそう見えてるんだね。」ということを身につけらるようこれからも中学受験まで頑張りたいと思います。

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