入会1週間後に感じた公文の利用法。

公文

こんにちは!ゆるパパです。

このブログは2020年9月17日の再アップです。

早生まれ年長マイペースな娘が公文に入会して1週間が経ちますが公文を続ける価値はあるか?ということを公文に入会1週間目の現時点での僕の考えを書いていきます。

公文をいつ習わせるかお考えの方に少しでもお役に立てるよう書いていきたいと思います。

先に結論を言うと、迷ってるならとりあえず始めましょう!

今日は勉強はやりたい、やりたくない、ではなく、するもの。

この言葉は最近、公文教室の先生が仰っていたことで、なるほどと僕は膝を打ちました。

うちではすでに朝勉強と称して平日朝に45分ほど勉強なり遊ぶなりを娘としています。

もう3年くらいになります。それはもちろん、娘に勉強の習慣をつけさせるためです。

ご飯を食べたら歯を磨かないと気持ち悪いように、毎日勉強しないと落ち着かないくらいまで生活の一部にしてしまえば勉強は苦ではなくなる筈だ!そう考えてのことです。

まあ、言ってしまえば当たり前の話。

で、同じ文脈で公文を考えると、毎日出される宿題を毎朝こなすということは、今日はやりたくないからやらないとか、やるとかというレベルはとっくに過ぎていて、歯を磨くように当たり前。

そして滞りなく毎日の公文へ移行できました。

なぜ子どもに勉強をする習慣をつけさせたいか?

ではなぜ、勉強させたいか?

これが最も公文(そのほかの習い事)をする上で大事なことだと思います。

  • 教養をつけさせるため
  • いい学校に入学させるため
  • いい会社に就職させるため
  • 企業させるため

色々あると思います。

要は自分の子どもには、人生をより実りのある豊かなものにさせたいということですよね。

その根拠が子どもとしっかり共有できており、納得から確信に変われば勉強や習い事が苦でなくなるのではないでしょう。ちなみに僕が思う人生を豊かにするとは、「私によると世界はこうなっていると説明できて、面白がれる」ということです。

どういうことかというと、自分の知らないことを知り、見識が広がって自分の考えを持つことができれば、この世界を私なりに語れるということになるのではないか?ということ。

「この本に寄れば〜」という言い方ありますよね、つまりそれです。私という本にはこう書いてあります、と言えること。

この世界は、

  • 悲しみに満ちているのか?
  • 辛いことに満ちているのか?
  • 生きてて辛いのか?
  • でもやっぱり素晴らしいことで満ちているのか?

どう考えるかは自由です。その自由の中で何を知り、考えていけるか?

どうせならどんなことでも面白がっていければ最高!そんなことを思うわけで。

つまり、僕によると世界はこうなっていて、色々大変なこともあるけど、でも見方を変えると全く別のモノに見える。そして新たな知識から得た見識があればそれこそ膨大な可能性が見えてくる。

それを遠慮なく面白がる、楽しむ。

裏を返せば、人生で直面したどうしようもないと思えるコトでも、考え方次第でいくらでもそれを面白がれるようになるはず。そこまで導くことが僕が娘に勉強させたい理由です。

したがって、公文を通して、勉強を通して、じゃあ一体僕らは何をしたいのか?させたいのか?そこを明確にすることを、考え続けること、これが大切だと思います。公文は目的に向かうためツールであって目的そのものではないのですから。でも、先にツールを使いながら考え続けるほうが効率がいいですよね。

もし公文を始めるかどうか迷っていたら、そんなふうに気楽に考えていけばよいのではないかと思います。ちなみに僕は公文を始めるにあたりやめた習い事があります。

それはキッズディオ(学童型英語教室)です。

目的があって始めたものですが、途中で考えが変われば軌道修正すればいいだけです。

もちろん子どもの負担を考慮しつつも。

ゆるいまとめ

それぞれに役を背負わされている。

子どもも親も言ってみればぶっつけ本番でその役割を演じているわけで、いきなり上手にその役を演じることなんてできませんよね。

上手くいったり、行かなかったり、悩んだり、落ち込んだり、、

これってそもそも「勉強」の醍醐味じゃないですか。

何事も楽しんで行きましょう。それが「私によると世界はこうなっているんだと面白がれる経験や糧」になっていくはずです。

もう一つと地球

あらゆる物事を面白がる、私によると世界はこうなっている。という言葉は、こちらの図書を参考しました。

私によると世界はこう説明できる、、ということは、この地球のほかに私自身のもう一つの地球を作る。。

閉じた世界と開いた世界

娘が観ている世界は、家、幼稚園、習い事、図書館がメインであい親の支配下にあるかなり限定的でいわば「閉じた世界」年齢を重ね、小学生になり学校を一人で行くわうになり次第に行動範囲が広がる

でも、相変わらず僕たちが中学受験がなんだと子どもの行動を縛り付けている。それは親にはこんなにも「開いた世界」があるのだ、ということを知っている必要があるでしょう。僕らの目の前に広がるこの世界はこんなに素晴らしくて、同時に残酷かもしれない。それが来た時、面白がる習慣を身についていたらあらゆる物事を吸収し出力していくに違いない。。今住んでいる世界を変えるほどの、自分の世界が構築できたらそれはそれですごい。公文を始めさせて1週間、そんな夢想をしています。

さて、あなたの世界ではどうですか?

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